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REPORTレポート

北陸道中膝栗毛 第一章(細呂木~橘)上

2020.08.08


何を血迷ったか、それとも何に誘われたか、人気もなくどこまで残っているかもわからない森の道、見る影もなくなったような街の道、今はもちろん主要路ではなくなった旧北陸道をなぜか歩きます。


そんな謎企画、第一回目はいきなり国境を越えます。

細呂木~橘です。

これはカスタネット石川も関わってきますね。




今回のスタート地点は、蓮如道と北陸道の追分、のこぎり坂からです。

細呂木集落を流れる観音川、そこに架かる橋に関所跡があり、その道を北上すると、





こんな場所が現れます。左が吉崎へ続く「吉崎道」、右が今回行く「北陸道」です。






この場所には多くの碑があります。↑は親鸞聖人の歌碑です。文政十二年(1829)に再建されたものだそうです。

承元元年(1207)に親鸞聖人が越後へ流罪となったとき、この坂で越前門徒との別れを惜しみ、この詠歌を残したそうです。

親鸞聖人は、今から私の行く右の道を行かれたそうで、当時は急な山道で「のこぎりの歯」のように屈曲していたので、「のこぎり坂」と呼ばれていたそう。江戸の初めには大改修をして、大名道路となって「祝言坂」ともよばれていたそう。現在は坂の途中までは舗装してあるが、それから先は旧道のままらしいです。(現地にはもっと詳しく書いてあります。)




参ります。

本当にちゃんと舗装されています。それでもきつい坂ですが・・・。
道路は深く削られています。親鸞聖人の時代、自然の地形のままの道なら相当な坂だったでしょう。



しばらく上ると、

人工物が現れました、建物もあります。
大量のソーラーパネル。そのさきに、



ずっと続いています。


ここを上るとピークっぽい場所に、



旧北陸道の案内板がありました。

旧北陸道は、岐阜県関ケ原町から新潟県村上市までであるが、旧北陸道の面影をそのまま残しているのは、ここから約一、三〇〇メートルの加賀境までである。この道は源義経、親鸞聖人、蓮如上人や、京からの勅使、加賀藩の大名行列等が頻繁に往来した由緒ある道である。『看板一部抜粋』


そうです。

道の途中に、塔や茶屋跡もあるようです。



ここからが本番です。森の中へと入っていきます。
 

しばらくすると、



「往来安全の名号塔」が現れました。説明には、この辺りに茶屋があったとされています。





夫婦石

不思議な話です。私はロマンチックだと思いますよ。



この二つの石でしょうか。「家内安全」「子孫繁栄」というのも、そういった伝説からなのでしょう。

横の地蔵さんも、二人です。



ではさきへ。



国境までとありますが、そのさきはどうなってしまうのか・・・。本当に道としていけるのか。道に迷わないか。下調べしていないのでわかりません。

旅にはこういった不安が生まれます。それを癒してくれるのが、先ほどのような「往来安全の名号塔」や地蔵さん、碑、道しるべなど、なんですね。必要なものなんですよ。実感します。







しばらく行くと、「これ以上は行くな」と言わんばかりに道をふさぐようにに折れている木の枝。

何か不吉な予感も感じながら、私は忠告ありがたく進みます。






なんだかもの凄く「旧道」の雰囲気をかもし出しています。


すると、



塔が現れました。




「お国境名号塔」。と祠です。

「旅の疲れを労った名号塔」だそうです。南無阿弥陀仏。

たしかに、これがあることで安心するというか、なんというか。





再び倒木。なぜ道をふさぐように・・・。なんだか怖いです・・・。







急に草が生い茂り始めたと思ったら、何か赤いものが見えました。





車です。しかも、今も使っていそうな。




右手はすごい広い。ここはどこなんでしょう・・・。



さっきの名号塔で加賀に入ったのでしょうか。というか急に農園に出てきたけど、道はあっているのでしょうか?



なんだかよくわからず。ここがどこだかもよくわからず。しかし、人気(ひとけ)のある、人口地が現れたので、足取りが軽くなります。




すると、なにかあります。





「国境一里塚跡」

ここが一里塚なのですね。道はあっていたようです。よかったです。



というわけで、カスタネット石川さんこんにちは。


続き↓

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