弊社は和田区、なので和田八幡宮にご挨拶
2020.07.19
新米です。本当に新米です。
弊社の神棚に和田八幡宮さんが祭られていたので、まず一回目は「和田八幡さん」だろうと思い、今回の掲載です。
というわけで来ました。
まず衝撃なのはこの橋。
やくよけばし。すごくおしゃれだなと、思いました。
塔ノ池弁財天。昔は
「塔ノ池」という池があって、その池の水を八幡さんに供えていたそうです。
芸能、金運の神です。
案内地図があります。見どころは多いです。
この地図に載っていない隠れた見どころも多いのです。今回全部は紹介できません。(量が多すぎる)また、私も見つけられていないものもあやもしれませんので、やはり実際お参りされるのが一番でしょう。
↓特集としても一部紹介しております。↓
天之磐座(あまのいわくら)降臨処、禊祓処。
すごい圧を感じます。
九頭竜紋石。竜神の紋様だそうです。
境内には
慰霊碑などの、
近代歴史に関するものも多くあります。
特攻隊の遺書。
これを見て、何を思うでしょう。決して目を背けてはならないのです。
こちらも戦争関連。
日露戦争の戦勝記念として、また、紀元二千六百年の記念事業として、氏子篤志家の寄付でつくられたそうです。『参考:和田区史』
厄割の石。これは面白そうです。社務所にある
「赤厄玉」をこの岩に投げて、厄を割るのです。
和田八幡宮の夏の風物詩、風鈴が手水舎にもあります。
拝。
私のお気に入りになった。
稲荷明神。のお狐さん。色鮮やかで、素敵。
厳島神社は、祭神、市杵島姫命。創建は古いと言われていますが、火災を受けて記録は残っていないそうです。もとは淵上(この地から北西の隣地区)にあったようです。
他にも境内社はあります。
「日吉山王社」発展、産業の神です。この地区には、多くの企業がありますからね。
「毘沙門天王」火防、盗難除けの神。
木田橋の下から見つかるって、すごいです。
源満仲(みつなか)、多田満仲とも呼ばれています。
創建天徳三年(957年)、源満仲は悪夢を感じ、この地方は、洪水や疫病に襲われていました。満仲は矢を放ち、その矢が落ちた「福井市和田」に満仲八幡御宮と石に刻み、祈念し、護摩焚きをしたところ鎮まり、石清水八幡宮に順次、和田ノ庄に占い社殿を造営し、和田七郷の総社としました。『参考:和田区史』
ちなみに、酒呑童子討伐で有名な
源頼光の父親です。
新田義貞、源頼朝、足利尊氏も元をたどればこのひとにあたります。
涼しげな。
生まれた年によって、違うのです。
いい狛犬です。
以上。
他にも昔の瓦や碑、石とかがありました。
今紹介しただけでもこんな量になってしまったので、あとは実際に肉眼で見てください。
洪水や疫病を鎮めたことから始まる神社。
洪水や疫病とは、今の時代にも思い当たる節がありますね・・・。今も昔も同じ災厄に悩まされていたのです。
由緒や周辺の寺社を少しだけ載せた特集もあるので、よろしければ見てください。
最後に。
弊社のある地区「和田」。弊社のこの土地は、今は「城東」になっていますが、昔は「下北野村」、字「六反田」付近と思われます。
六反=5950.42平方メートル。それだけの田んぼだったということですね。